「前﨑さん、どんな障害者でも見れるって言いましたよね?」
    
そうやって紹介され、うみべを利用し始めたのが強度行動障害と重度の自閉症を持つ『しんぺい』である。
    
なぜ彼がこういった特殊な紹介をされてきたかというと、
彼には、
『人と目が合うとその人の目をつぶそうとする』
『目の前の人を見境なしにボコボコに殴ってしまう』
『玄関が空いていると外に出て行きいなくなってしまう』
などなどたくさんの問題行動があり、
とてもじゃないけど周りの人たちと共生できる状況ではなく、
地域でも「手に負えない」と名高い当事者であったからである。
    
「当たり前ですよ、うみべでなら誰でも大丈夫ですよ。」
    
正直大丈夫なわけがなかった。
        
でも僕は勢いだけでしんぺいの受け入れをしてしまっていた。
内心は「うみべ終わったかもしれない」と冷や汗が止まらなかった。
    
なぜならうみべには、
「生活の場に連日一般の方が出入りするカフェがある」
「日常的に職員が子連れ出勤する環境にある」
「玄関が常にフルオープン状態」
「定期的にテレビカメラが入ったりとメディア露出が高い」
といった彼の問題行動を防ぐどころかその問題行動を明るみに広げてしまうであろう環境しかなかったからである。
    
正直彼と僕たちが笑顔で毎日を過ごせる姿が僕は全くイメージできなかった。

でも僕はこういう彼だからこそ救いたかった。こういう彼にこそうみべを必要として欲しかった。
自分のエゴでしかないことも分かっていたが、
「誰でも安心して使える」の「誰でも」から除外される人たちがいない、そういう福祉の世界を僕はどうしても目指したかった。
    
何の対策も勝算も無いままに、彼の利用開始日だけが迫る中、
僕は職員たちに、彼が「自閉症」だということと「言葉の理解が難しいかもしれない」といった情報以外、これまでの素性等は話せないままでいた。
    
「そんな重度な人、うちじゃ見れません」
    
そういう言葉が職員たちの口から出た瞬間にうみべがうみべじゃなくなる気がして恐かったからである。
    
    
そして迎えた利用当日。
    
しんぺいは椅子ではなく床に座り僕の足にずっとしがみつきながらニコニコと笑顔を見せ、
「笑って」
と自身も笑顔を見せることで一日が終わった。聞いていた問題行動は起きなかった。
    
次の日にはカフェの隅に座ったり寝転んだりしながら、僕たちやお客さんをニコニコと眺め目が合うと嬉しそうに「笑って」と話しかけ、笑顔を交わすと目をそらす姿が続いた。
    
3日目にはカフェのど真ん中で寝転び、同様に笑顔を振りまき、そんな彼の姿を愛らしく感じた他の利用者たちが、彼に声をかけたり「しんちゃん可愛いね」と頭をなでに行ったりと集まり始め、職員もお客さんも彼の周りに集まり始め、
しんぺいは猫カフェの猫そのものの存在となっていた。
    
『何かがおかしい』
    
聞いていた問題行動が一向に起きないしんぺいの姿に、
彼の過去を知る「両親」「僕」は大きく混乱したけど、
この状況を喜ぶことに忙しかったのでとりあえず笑いあった。
    
    
もしかしてだけど、
これまでしんぺいが誰かに振るってきた暴力行為は、
『攻撃』が目的じゃなくて『防御』が目的だったんじゃないだろうか。
    
うみべは「やっちゃいけないこと」っていうのが存在してない自由な空間だから、
誰かから「叱られる・注意される」っていう文化も存在してないから、暴力で身を守る必要が無いのではないだろうか。
しんぺいは誰かに叱られることにずっと怯えてたんじゃないだろうか。
    
しんぺいは言葉で何も説明してくれないし、確かめるすべなんて無いんだけど、彼の笑顔と周りの人たちの笑顔を見ながら僕は何となくそう感じた。
    
もう暴力なんて振るわなくても大丈夫だよ、しんぺい。
    
    
『ため息の前に、うみべにおいでよ。』