うみべがオープンしてから3か月が経とうとした頃、
ヒコさんという84歳の男性がうみべの利用を開始することとなった。
障害者の施設に高齢者が通うということは、あまり前例が無く、
「おじいちゃんってコーヒー飲むんかね?お茶のがいいんかね?温かいほうがいいの?冷たいほうがいいの?」
と、うみべの利用者も職員も、明日から始まる未だ見ぬ世界に大混乱。
そして迎えた当日、本当にこれまで誰も見たことの無い世界がそこにあった。
「おじいちゃん、初めまして、どうぞこちらにおかけください」
「ヒコさん、そこの段差に気を付けてくださいね」
「ヒコさん、僕たちにできることがあったら何でも言ってくださいね」
日ごろは自身が職員から支援を受けながら生活をしていた面々が、
支援をする側の視点でヒコさんに接しはじめたのだ。
そしてこのことが、うみべ全体に大きな変化をもたらした。
「オカピーの調子が悪そうだから今日は僕が彼の相談相手になるね」
「ともさんも忙しそうだから私なりに送迎ルートと乗員を組んどきましたよ」
「お風呂掃除もう終わってますよ」
ヒコさんに対してだけにとどまらず、
他の障害利用者や職員に対する支援を利用者みんながいきいきと競い合い始めるという、
摩訶不思議な毎日が繰り広げられるようになったのだ。
しかし、ここで問題も発生。
それまでの自身の仕事と役割を失った職員たち。
はじめは各々楽を感じていたが、だんだんと自分の存在意義に悩み始め、
帰りの送迎の時間になってもランチから帰ってこない職員、
寝たふりをして時間を過ごす職員、
利用者を乗せ忘れたままドライブに出ちゃう職員と、
明らかに職員全員が情緒不安定になってしまったのである。
そして、そんな職員たちを横目に、日々どんどんできることが拡大していく利用者たち。
次第にヒコさんを含む利用者たちが、毎日職員を励ましたり心配をするようになった。
だれが支援をする人で、だれが支援を受ける人なのかという境が全く見えなくなり、
職員と利用者という従来の福祉の関係性が完全に崩壊してしまった。
でも「これでいいんだ」と職員たちもわりとすぐに気が付いた。
病んだ自分たちをケアする利用者たちの表情に、
思わず衝動的にカメラのシャッターをきってしまう程の輝きがあったからだ。
それから自然に職員のメインの仕事は「利用者を直接支援する」ことから、「日々のうみべの写真を残すこと」に徐々に変化していった。
みんなが笑顔で写る写真はSNSなどを通して、
施設外の多くの人たちの心まで魅了していき、
利用者や自分たちにも新しい景色や見たことの無い未来をもたらすことになった。
世間のセオリーや教科書に載っていないこの環境は、
案外みんなにとって唯一無二な居心地の良い環境になったのだった。
うみべが今のうみべになった瞬間の話。
『ため息の前に、うみべにおいでよ』
2024/12/04 23:11